2024/09/07(土)
たまには社会派なブログを書いてみたり。
……適当に読み飛ばして良いからね。
おはようから宮城県へ
おはようございます。本日、朝4時30分起床。
ちょっと遅かったです。ここは河川敷、日の出と共にランニングを始める人もいます。
なので本来は、日の出の時間にはテントを撤収しないといけませんね。雨だから油断してました。
ランニングコースから見えにくい位置とはいえ、ステルスが鉄則。反省してます。
というわけで、ひとまず移動。
近場のコンビニに行きました。イートインコーナーにコンセントがあってラッキー。
ただ、朝からずっと居座るわけにもいかないので、パンを食べながら予定を立てて撤収。
はい、また太平洋側に向かいます。
こっちの方に行きたい場所があるんです。
今回のタイトルになっている大川小学校! ではなく、女川町という所。個人的に寄りたいんです。
その途中に震災遺構、大川小学校という場所があったので寄ることにしました。東日本大震災の被災地。
いつも角が立ちそうな話は、丸くして書いているんですけど、たまには個人ブログらしく意見書こう。
この旅で度々登場するソフトクリームの表現。
「ミニストップのソフトクリームぐらい美味しい」
過去の記憶をもとに書いているので、この基準が怪しいです。過大評価をしている可能性があります。
なので、改めて食べてみることにしました。確認のためです。暑かったからとかじゃないです。
このソフトクリーム、ミニストップのソフトクリームより美味しかったです。
はい、つまり過小評価してましたね。想像より美味しい。いつの間にかリニューアルした?
一度バニラに卵黄が加わっていた時期があって、その時に味が落ちたなと思っていて、今までそれが基準になってました。
今やミニストップのソフトクリームを超えているソフトクリーム、片手で数えられるかもしれません。
味だと北海道の上位3つと青森のハロンバイルぐらい。クオリティを含めるなら、岩下の新生姜ソフト。
ハードル上がりました。ミニストップのソフトクリームを飛び越えるの難しいですよ。
ちなみに調べてみたら、2020年にリニューアルしていて、現在は6代目らしいですよ。
6代目は推せます。5代目が卵黄で推せなかったやつらしい。無駄な知識を得ました。食べてみてね。
はい、以上が岩手県編でした。充実してましたね。
【90日目】の岩手県②ぐらいです。個人的に微妙なやつ。雨が多かったから仕方ないんですけど。
山が多かったし、あんなに回ったのにスタンプラリー埋まらなかったけど、楽しい県でした。以上!
道の駅 三滝堂でブログ書いてた
はい、そんな感じです。
三滝堂名物のメイプルパンを食べながら、イートインでブログを書いていただけです。
ホイップクリームとメイプルシロップたっぷりで、ボリュームありました。メロン要素は分からない。
クーラーが効いていて涼しかったです。
岩手県みたいに、県全体の観光マップがあれば予定も立てやすいんですけど、見つけられませんでした。
というわけで、当初の予定通り進んで行きます。
家庭料理リーちゃん食堂で昼食
お昼の12時。ごはん屋さんがあったので、入ってみることにしました。
この町の付近、コンビニがないです。手持ちもあんパンが一つ。ちょっと油断してました。
今日もボリュームたっぷりです。美味しかったです。安いし大満足。
家の近くにあったら、全メニュー制覇したいタイプのお店ですね。たぶん全部美味しいと思う。
食後には、コーヒーもサービスしてくれました。全員に聞いて回っていたので、常にやってそうです。
はい、そんな感じで津山町で色々してました。
小さい町のごはん屋さんに、ふらっと入るの楽しいですよね。冒険したくなります。
この後、ルートをちょっと変えて進んだら、大きめのスーパーを見かけました。
早とちりでしたけど、食べ物に対する意識は良し。食料が尽きてからだと遅いですからね。準備大事。
というわけで、震災遺構、大川小学校まで行きましょう!
震災遺構 大川小学校を訪ねたよ
説明しましょう。石巻市立大川小学校。
2011年の東日本大震災の津波により、学校管理下にあった生徒78名のうち74名。教員11名のうち10名が亡くなった学校です。
当時、裁判をやったりしてニュースで取り上げられていたので、思い出せる人もいるのではないでしょうか。
地震発生から50分ほどグラウンドに待機したり、その後、近くの三角地帯に避難した結果、津波に巻き込まれてしまった話。
裏山に逃げるべきだったとか、色々議論されてましたね。
この学校は、被災した校舎を震災遺構として保存しています。震災の被害を伝えるためですね。
この校舎を残すにあたっても、議論があったそうです。保存するのか解体するのか。
でも、いつかは原爆ドームのように、被害の大きさを伝える貴重な資料になるでしょうね。
少なくとも、残してくれたおかげで今見ることが出来ています。地元住民の人にとっては、辛い記憶かもしれませんけど。
テレビで津波の映像を見ても、正直規模が大きすぎて現実感がなかったです。映画の映像みたいな感じ。
実際に来てみると、現実にあったことなんだなって思います。起こってしまったことなので、教訓にするしかないですね。
東日本大震災の記憶があったからこそ、今年2024年に発生した能登半島地震では迅速な対応が出来たと思うので、忘れないことが大事。
大川震災伝承館の記録
はい、そんな感じです。
新聞記事2019年までは、主な話題は裁判についてでした。
というのも、大川小の遺族の方が市・県を相手取って裁判を起こしたんですね。
過程は省略しますが、結果は大川小遺族の勝訴。
提訴した児童23人の19遺族に対して、計14億3,610万円の賠償が命じられています。
これ、他の遺族には賠償金が支払われていないんだろうか? とか、思う所もありますが、それは一旦置いておくとして、大事なのは勝訴したということ。
つまり、事実として大川小の被害は、「人災」だったということが認められたわけです。
私は裏山に向かえない側の人
で、これを見て色々と考えたわけです。
もし、自分が教師の立場だったら、裏山に逃げる判断出来たのかな、とか。
……同じ状況だったら、自分は裏山に行けなかったと思います。
当時のマニュアルでは、大川小学校自体が避難場所として指定されている状況。生徒以外も集まっていたでしょう。
地震でパニック状態の生徒78人+αを、裏山に連れて登る判断は出来ないです。
地震の影響で山が崩れるかもしれないし、これで裏山に登っている最中に、子どもが怪我をしたら責任を取れない。
たぶんそういう思考になります。だから無理だったと思います。マニュアル人間なので。
もちろん今なら津波の恐怖を知っているので、無理してでも、高い所への移動一択ですけどね。
でも、判決は「人災」。教師に過失があるとしています。
つまり、こうなることを想定して、事前に準備をしておくべきだったという話になります。
マニュアルを見直さないといけなかった訳です。難しい話ですけど、子供を預かる立場なら、必要なことだったんでしょうね。
この震災の件から得るべき教訓は、正しいマニュアルを作ろう! 事前準備が大事! ってことです。震災に限らずね。
というわけで、今から首都直下地震に備えて、逃げる場所を考えておきましょうね。
まずは、頑丈で大きめな机を買っておきましょう。以上!
寝場所を探していたら道の駅にいた
はい、そんな感じで震災遺構、大川小に2時間近く滞在してました。新聞記事を読みすぎました。
時刻は16時頃。海沿いの山を進んで、女川町まで行くか悩んだんですけど、なかなか険しかったので、石巻市方面へ戻りました。
そんな感じで、道の駅に居座ってました。
公園より虫がいないし快適。人が少なければ寝床としても使えそうなんですけどね。
温泉に入るか迷ったんですけど、近くの足湯で満足してました。
結局、道の駅で寝てた
貰ってしまいました。ずっと座っていたのでね。
不憫に思われたのかもしれないです。傍からみたら、雨で行き場なくした旅人かな? 実際そうなんですけどね。
で、貰ったので飲みました。これで自転車に乗ったら飲酒運転じゃんとか思いました。
アルコールを飲むと、ここで寝れば良いかなって気持ちになりましたね。
何も気にせずベンチで寝てる人、周辺に2人ぐらいいるし。
はい、そんな感じの1日でした。
なかなか社会派でしたね。ソフトクリームから震災まで、ベンチに座っていた時間が長いから文字数も多いんです。
明日は女川町に行った後、松島周辺まで行きたいなって思ってます。距離も調べてないけど。
以上、今日も1日お疲れさまでした!
移動距離:91km 自転車屋さんで油差して調子が良い。